栄助兵衛の四方山(よもやま)話

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「異次元の少子化対策」なら本質的な対策案を考えろ!-ある著名人のメルマガからの転記

本来のブログの趣旨からはかけ離れていますが、ほんまに今の日本の政治はやばいと感じる今日この頃ですので、単なる選挙対策の政策に踊らされないように、みなさんにも少子高齢化社会の本質的な問題とその対策について考えていただけたらと思い転記します。

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 優生思想は忌むべき思想です。

だから、これから述べることが「優生思想につながる」と指摘されるのは絶対的に拒否しますが、中途半端な説明をするとその種の指弾を受ける可能性がありますから、放送などでは言わないように心がけて来ました。

でもこのメルマガなら曲解する人はいないと信じて書きます。

 

 優生思想とは「優れた遺伝子」を選別して子孫に残す、裏を返すと、
「優れていない遺伝子」を持つものが子供を持つことを制限、あるいは禁止するという考え方で、歴史上ナチスドイツの政策が有名ですが、実は社会保障費の削減目的で、スウェーデンなどの北欧では第二次大戦後もかなり長い間この政策が徹底されていました。

 

日本でも30年くらい前に一度大問題になった事を数年前に毎日新聞が再び発掘して、障害者施設における不妊手術などが社会的にクローズアップされました。
この施策の誤りは当然として、今回のテーマは今国会で議論されている「異次元の少子化対策」についてです。

 

 まず、2009年に政権を取った民主党少子化対策は、「愚か者」と指弾されても仕方のない政策でした。
当時の民主党政権が掲げた、「子供一人につき、毎月、中学校卒業まで2万6千円配布する(政権奪取後は財源が無いとして半額に引き下げられて実施)」という施策を当時の野党自民党丸川珠代さんらが批判した言葉が「愚か者」でしたが、
自民党は今、少子化対策として所得制限なしの児童手当などを「異次元の少子化対策」として考えていて、民主党出身の立憲民主の長妻議員などから「民主党政権の施策を『愚か者』と呼んだ自民党が同じ施策をするなら当時の批判について謝罪しろ」という指摘を受け、岸田総理や丸川議員が反省の弁を述べる事態になっています。

 

 でもね、
問題の本質はかつての民主党の施策も、現在の自民党の施策も、共に「愚か者」だという事にあるのです。
だって、かつての民主党の施策が日本の少子化対策につながらなかったのは歴史が証明していますからね。
批判を恐れず汚い言葉を使うと、「貧乏人に金欲しさに子供を作らすような施策は社会のためにならない」ってことなんです。


民主党政権が誕生する前夜には、「子供1人に2万6千円くれるってことは、子供を10人作れば毎月26万円貰えるってことだ。
民主党政権を誕生させて、子供手当をもらって遊んで暮らそう。」なんてささやきが巷から聞こえてきました。

 

こんな事をしたら、教育環境に恵まれず、生きる力の弱い(この後者の一言を口にすると、『優生思想』って指弾されますので、放送では絶対に言いません。)家庭にばかり子供が生まれてしまいます。

 

一方、現在日本の社会保障費の大半を負担している中間以上所得層にしてみたら、配布される子供手当より、税金や社会保険負担の方がはるかに大きいですから、「子育ては自分の力でやるから、税金や社会保険負担を減らしてくれ。」と思います。
つまり、一律配布の子供手当や児童手当は、この「生きる力が強い(この表現も優生思想と批判される可能性がありますね。)」親のいる家庭にとっては、子供を作る動機にはならない訳です。

ここで書いた事は、子供手当や児童手当の充実が、日本の中間以上所得層にベビーブームをもたらさなかったことで証明済です。

 

 それではどんな少子化対策をすべきか?

 圧倒的に優れた施策が、例えば、フランスなどで導入済の「N分N乗方式」です。フランスではこの施策と同時に、子育てした個人やカップルの年金を増やしました。
「年金などの社会保障費を負担する人々を育てたのだから、育てた人の年金を増やすのは当然だ」という発想ですが、日本でこれをやったら、野党やマスコミに徹底的に「差別だ」と叩かれるでしょうね。

 

フランスの制度では、育てるのは実子である必要はありません。他人の子供でも、親の無い子供でも、とにかく子供を育てた人の将来の年金が増えるのです。
これって実に公平な施策だと思うのですが、日本では「差別」になってしまうのが不思議です。

 

 さて「N分N乗方式」です。

 例えば妻の年収が400万円、夫の年収が600万円で子供が3人いる家庭を考えましょう。
日本の現行制度では、子供3人が夫の扶養家族になって、夫の課税所得は500万円弱に減額されます。
しかし、妻は丸まる400万円に対しての税金と社会保障負担が発生し、夫も500万円に対して同様に多額の天引きを受けます。
この世帯にとって、子供3人分の児童手当なんて微々たるもんです。

夫婦合わせて1000万円の所得のある「ミドルクラス」でも子供の教育費などを考えると、とても東京23区内にマンションを買うなんて無理です。だって、今東京の中央区など都心6区のマンション価格は、中古の70平米で9800万円が平均価格ですからね。もう無茶苦茶です。

 

 これがフランス等で導入されている「N分N乗方式」ならどうなるか?
さっきのモデル家庭の場合、世帯年収は1000万円ですから、この額を、子供を含む世帯人員の5で割ります(フランスでは第一子、第二子の場合0.5、つまり二人で一人と数えます。
このあたりの制度設計には様々な工夫の余地があります。さらに税金だけにこの制度を導入するか、それとも社会保険にも適用するかなどの細かい制度設計こそが政治的課題です。)。

 

 こうして得られた数がN(=5)です。Nは世帯の人数を表します。
このN=5で世帯年収の1000万円を割ると一人当たりの収入は200万円です。課税の基準をこの200万円をベースに考えます。
年収500万円なら、住民税、所得税社会保険負担などでかなり天引きされますが、年収200万円なら、多くの公的負担は劇的に軽減されます。

 

で、世帯の納付額は、200万円の収入に課される額に世帯人数の5をかけて決めます。これがN乗です。
この方式ですと、子育てしたり、無収入の親の面倒を見ていたりすると世帯が納める公的負担が減る一方、世帯人数が少ない家庭では、通常の公的負担になるわけです。

 

 例えば世帯年収5000万円等の富裕層の場合、普通に税金や社会保険料を払うと、年収の半分くらいを徴収されますが、この世帯が親に恵まれない子供や実子等6人の子育てをしていて、同時に無収入の高齢の親2人を面倒見ていて世帯人員が10人だとすると、5000万円の年収を10で割って、一人当たりの所得額は500万円になります。これが課税ベースです。

 

N分N乗方式なら、500万円にかかる税金や社会保険料を計算して、これを10倍すると、それが世帯の公的負担額になります。
この方式ですと、「所得が多い」、つまり「教育環境が整い」「生きる力の強い」親のいる家庭でたくさん子供を作る動機が生まれます。
また、積極的に、高齢の親や、恵まれない子供を扶養しようとする富裕層が劇的に増えるでしょう。だってこの方式なら、子供や老親を扶養することが圧倒的な節税効果を生みますからね。

 

一方所得の低い層では、元々世帯の公的負担額が少ないですから、この所得をいくつに割ってもさらなる公的負担減は望めず、この方式では子供をたくさん持つ動機にはなりません。

この方式では、世帯所得が多ければ多いほど、子供をたくさん持つモチベーションになるわけです。
ただ、所得の低い層にメリットが無いわけではありません。この制度で生まれる沢山の「財源の担い手」が、将来、多くの人々の生活を支える社会基盤になるからです。

 

 実際にフランスで劇的な効果を発揮したこの方式を日本に導入すれば、日本の少子化や、場合によったら高齢化問題の一部も一気に解消するでしょう。確かに日本でこの制度を導入するにはいくつか問題があります。

 

それは現在の日本では、低所得層の税金や社会保障費の大半が免除されている上に、勤労者世帯の6割がそもそも最低課税水準ですから、この層には制度導入の目先のメリットが無いのです。


でもねえ、そもそも、選挙で勝つために日本国民の「多数派」の社会保障負担を軽減、免除する一方で、中間所得以上の「少数派」に加重な負担を押し付ける現在の日本の構造そのものが問題だと気付くべきだと思うんですよね。
そのせいで少子化が進み、国力衰退が止まらなくなっている訳ですからね。

 

 つまりN分N乗方式なら、単に子供の「数」が増えるだけじゃなく、教育環境の整った家庭に、生きる力の強い子供たちがたくさん生まれる可能性が生じるのです。これを子供の「質」と表現すると、日本では完全に差別者扱いされます。
「差別だ」という批判を恐れてか、マスコミは絶対にこの制度の本当の意味を口にしません。

 

 とにかく、かつての民主党政権の施策同様、今の岸田政権の施策の延長線上に国力の向上した豊かな日本は見えません。
こんなことをしてると日本は滅んでしまいます。

 こうした正しい解決方法が社会的に排除される背景には、例えば日本の税金と社会保障費徴収制度に関して、少数者に負担を押し付ける制度が確立していることがあります。
民主主義社会では、政治家は多数派の意見に配慮しない訳に行きません。
つまり多数決で物事を決めると、少数者に大きなメリットが生まれる「N分N乗方式」は排除される運命にあるわけです。

 

 正しい施策に必要なのは、多数派を敵に回しても問題解決を図る政治家の「信念」と「覚悟」ですが、ポピュリスト政権にそれを期待できません。悲しいですね。